まちづくりの伝道師として。<br>タウンマネジメントで未来を切り拓く。

まちの固有性を見つけ、高めていく。
タウンマネジメントという仕事。

 

地方の町おこし、駅前やベイエリアの再開発。最近、特徴のある街に関するニュースを見聞きすることが多い。「まちづくり」という言葉が、様々なメディアで飛び交っている。六本木やお台場、丸の内…といった大都市だけでなく、地方都市や過疎の村などでも、地域の魅力を引き出し、賑わいを取り戻そうとする取り組みが盛んに行われるようになった。

 

今では当たり前のように語られる「まちづくり」という仕事が、まだあまり知られていなかった時代から、タウンマネジメントを生業としてきたプロフェッショナルがいる。今回ご登場いただくのは、タウンマネジメント・エリアマネジメントに特化し、大規模プロジェクトを次々に成功させている、株式会社QUOLの代表取締役で「タウンデザイナー」の栗原氏だ。

 

2005年の会社設立以来、大手不動産会社、鉄道会社、建設会社、広告代理店などから多くの依頼を受け、大規模複合施設から大規模マンションなどそれぞれの固有性を見出し、賑わいを生み、まちの価値を高めてきた。

 

タウンマネジメント、エリアマネジメントとは、そもそもどのようなものなのだろうか。

 

「まちに複数存在する商業施設やオフィス、住宅などをひとつの「まち(タウン・エリア)」として捉え、効率的かつ継続的に地域の環境や価値を向上させていきます。そのために、専任の体制を組み横断的・総合的に調整しながらまちを管理・運営します。さらに、地域のさまざまな課題を解決し活性化と改善をしていくことで、まち全体のブランド力、ひとをひきつける力を向上させていきます」

 

QUOLは、タウンマネジメントの専門家集団である。商業運営、イベント・コミュニティづくりを得意とするメンバーたち。そもそも栗原氏は、どのような思いからこの仕事を始めたのだろうか。その生い立ちにヒントがあった。

田舎育ち、転勤族。
まちの形や面白さを、幼い頃から自然に吸収していた。

 

栗原氏は、4人兄弟の長男として京都で生まれた。少年時代のほとんどを過ごしたのは、四国。愛媛県宇和島市だ。

海と山に囲まれ、自然豊かなこの町は、交通の利便性が良いとはいえず、目立った商業施設もなく、栗原少年には少々退屈なふるさとだったが、今でも思い出すのは、季節ごとに行われる地域の祭りや、実家でもあるキリスト教会のイベント。そこでは学校の友達とは違う様々な属性の人たちと関わる機会に恵まれた、独自のコミュニティがあった。牧師の息子として主体的にイベントを企画したり、人々を楽しませることで、賑わいが生まれ、コミュニティが広がっていくことに喜びを感じたという。

 

「中学生までを宇和島で過ごし、その後、群馬県高崎市、そして京都、東京へと、これまでに引っ越しした回数は23回になります。転勤のおかげで、いろいろなまちを見ることができましたね」

 

いまでも、それぞれのまちやふるさとに、それぞれ思い入れがある自分に気づくことがあるという。地域の固有性、その土地ならではの豊富な食材、産業、そして祭り…

少年時代、青年時代の環境が、現在の自分のまちづくりの原点を作ってくれたと感じている。

タウンマネジメントの面白さ、やりがいを知った森ビル時代。

 

京都工芸繊維大学では建築を学んだ。

「建物をデザインしたい」もともと建築家志望だったが、大学院時代に企業と協業するプロジェクトに関わってから、建築への思いが変化していく。

そのプロジェクトでは、建物が出来たあと、その機能性や使い勝手を検証するプロセスを経験した。

 

「建築パートは、建物が出来上がったらそこがゴール。その後の運営へのかかわりがない。しかし使う人、住む人はそこからがスタート。大学院時代に携わったこのプロジェクトを通して、建物を建てて終わりではなく、建物のその後をより良くしていくことの面白さ、重要性を学び、そうした仕事をしたいと思うようになりました」

 

卒業後は、設計会社や建築会社への進路もあったが、当時ナンバービルと呼ばれる数多くのビルを建設し、まち全体を面で捉えて開発していた森ビルに就職。ここで様々な複合都市のまちづくりに携わることになる。

 

当時の森ビルは、今は当たり前になった複合都市を実証する再開発を成功させていた。アークヒルズだ。赤坂と六本木の間にあるこのエリアは、決して駅から近いわけでもなく、不便な立地だった。さらには、当時の六本木は夜の歓楽街、外国人もたくさんいて治安が良くないという悪いイメージが定着していた。

アークヒルズには、TV局、レジデンス、 全日空ホテル、サントリーホールなどが集結し、アメリカ銀行を始めとする世界の一流企業が支店を構えた。まちに新たな価値を生み出す、そんな思想が実現された新しいまち。外国人向けの住環境が整えられ、同じエリアにオフィスもある、飲食やエンターテインメントを楽しめる場所もある。アークヒルズは、海外からエグゼクティヴが集うエリアになっていた。

 

アークヒルズをはじめとする先駆的なまちづくりの歴史を塗り替えてきた森ビルに就職した栗原氏は、「六本木ヒルズ」「愛宕グリーンヒルズ」「お台場ヴィーナスフォート」 など大規模複合施設の企画開発・運営を担当。タウンマネジメントの仕事にどっぷりとはまることになる。

 

1999年に開業した「ヴィーナスフォート」では、販促プロモーション全体をプロデュースした。ヴィーナスフォートは、当時埋立地の更地の真ん中にあった。そこで利便性に依存しない「美」をテーマとした女性のためのテーマパークをオープンした。立ち上げ当初は好調だったが、徐々に集客力が低下していく。栗原氏は、その状況を挽回するためにさまざまなプロモーションを仕掛け、成功と挫折の経験を重ねた。

 

その後、アークヒルズに続く六本木エリアの大規模再開発プロジェクトである「六本木ヒルズ」で、オープニングからタウンマネジメント、プロモーションを担当する。今では六本木ヒルズの代名詞とも言えるけやき坂のイルミネーションなど施設全体をプロデュースし、「まちづくり」の新たな可能性を見出していった

タウンデザイナーとして独立。さらなる進化をとげる。

 

六本木ヒルズでの仕事は、常に話題となりメディアにも多く取り上げられ、がむしゃらにこなす毎日だった。

 

街全体をマネジメントすることの面白さや、地域の住人や企業、周辺エリアを巻き込んで賑わいを作ることで街の価値が向上していくことを目の当たりにしていた栗原氏。

「タウンマネジメントのしくみで、これだけ人が呼べるんだ!」

このしくみは、いろいろなところに応用性があるのではないか…地方のまちづくりにも応用できるのでは。六本木エリアのブランディングの一翼を担ったという自信と、起業への思いが沸き上がり、独立したいと会社に申し出た。

 

2005年に森ビルを退職。タウンマネジメント専門コンサルティング会社「QUOL」を設立する。自らをタウンデザイナーと称し、タウンマネジメントや戦略的な地域ブランディングコンサルティング事業を展開していくこととなる。

 

しかし独立したての頃は、看板をかかげたもののタウンマネジメントのニーズはほとんどなかった。

それどころか、タウンマネジメントがどんなものなのかを説明しても、なかなか理解してもらえなかった。

 

そんな状況の中、知り合いからデジタルサイネージの仕事の依頼があり、商業施設の映像装置導入コンサルティング業務で手腕を発揮していく。いまでは当たり前となった、商業施設の映像装置だが、当時デジタルサイネージの専門家はいなかった。

 

メーカーの選定やコスト管理、設置場所や放映する番組の編成、そのすべてをプロデュースする。東京ミッドタウン、表参道ヒルズ、大阪ステーションシティのデジタルサイネージなどを手がけ、小さな会社の売り上げを支えることができた。

地域とともに新しいコミュニティを創出した
「WATERRAS(ワテラス)」のプロジェクト

 

リーマンショックなど様々な苦難を乗り越え、タウンマネジメントの手腕を振るい成功をおさめたのが、千代田区神田淡路町に開発された複合施設「WATERRAS(ワテラス)」だ。2013年4月12日に開業。統廃合した区立淡路小学校の跡地を再開発する計画において、ディベロッパーが一方的につくるのではなく、地域の人とともに、開業後も踏まえてまちづくりを行っていきたいという事業者からの依頼があり、QUOLがそのタウンマネジメントを引き受けることとなった。

 

舞台となる神田淡路地域は地元住民の結束力や人情味あふれる文化が発展している地域。江戸三大祭りの神田祭りでも有名なエリアだ。町会長の熱い思い、そして多くの地域住民に愛された淡路小学校跡地ということもあり、建設に対する賛同を得るには相当の時間がかかるのではという不安の中プロジェクトはスタートした。

 

栗原氏は、もともとそこに暮らしてきた人々を「先住民」、新たにマンションに住まう人々のことを「新住民」と呼んでいる。その間にコミュニティは成立するのか。そもそも融和できるのか。

何度も開催された検討会では、その疑問を解決する方法として学生が取り上げられた。神田といえば昔から学生街なのだが、近年大学の郊外移転により、神田には学生が少なくなり活気が失われていた。「開発に学生を住まわせよう。学生が住民交流の媒介になってくれるのではないか。」
一方で地域の老人たちの中には、学生との同居に対して不安を感じている人も多かった。

 

そこで栗原氏はワテラスが開業する2年前から、 実際に学生を交えた実証実験を始めることにした。まず学生サークルなどにアプローチし、地域のさまざまなイベントへの参加を呼び掛けた。また工事中の仮囲いに、街の子ども達とペインティングをしたり、町内会の重鎮と学生を集め道路で飲みにケーションを行ったり、学生達とフリーペーパーを作るなど、学生と地域のコミュニケーションの時間を徐々に増やしていった。

これらの取り組みを重ねていくうちに、先住民である地域住民の意識が変わり始めた。「こんなに素晴らしい学生達であるならば是非ともこの地域に住んで欲しい」先住民と新住民の心の垣根ははずれていった。

 

その結果、ワテラスには36戸のワンルームマンションが計画された。学生は住んでくれるのか?という不安もあったがヒアリングを重ね、周辺の大学をキャラバンし、ワテラスに住まうことの魅力をアピールしたところ、入居希望者は定員をはるかに超える数となった。

さらに継続的な街への関わりを保つため、家賃を安く設定する代わりに、地域貢献への参加をルールとした。例えばイベントの手伝いなど、地域貢献をすることでポイントが付与され、年間で規定のポイント上限を超えないと更新できない仕組みとした。入居時には町会長が必ず面接を行い、地域の先住民にも継続的に関わってもらう仕組みとした。

「人情・情緒を引き継ぎ、大きなコミュニティをはぐくむ」。ワテラスは、オフィス、商業施設、住居などにより構成され、現在もなお、コミュニティの輪は広がり、新たな神田淡路町の顔として地域に愛されている。

 

また、QUOLの手掛けた実績の一つにマンションコミュニティ型のタウンマネジメントがある。

横浜港を見下ろす丘の上、かつて磯子のシンボルだった横浜プリンスホテル跡地に、2014年2月に誕生した総戸数1230の大規模マンション「ブリリアシティ横浜磯子」では、地域全体を巻き込んだ新しい自治組織として、「磯子タウンマネジメント倶楽部」を提案した。QUOLの社員もタウンマネジメントの運営を専任で担当するために常駐、マンション住人や周辺住人のコミュニケーションのきっかけづくりとして、料理教室やヨガサークル、マルシェやワークショップなど、子どもから大人まで参加できる様々なイベントを開催している。

 

「ただイベントをやればいい、というものでもない。そこに住まう人々の属性や特性から様々なジャンルのイベントを実施し、ネットワーキングの成果を測定、共有することも大事。誰とつながることができたのか、どんな効果があったのかを常に観測しています。」

まちの魅力を深掘りし、それを磁力にしてひとを惹きつける。
タウンマネジメントの新たな使命を胸に。

 

栗原氏はどのような視点で、タウンマネジメントに携わっているのか。

 

「まちそのものに、過度な期待をしてはいけません。まちが、地域が、何かをしてくれるということは、今後の日本において難しくなっています。」

 

目線は、日本社会が抱える課題にも重なってくるという。

 

「向こう三軒両隣という言葉があるように、昔は、相互扶助の仕組みが機能していました。自治会や商店会…そしてお節介なおばさんがいた。それらによって秩序があり、地域には暗黙のルールが成立していた。しかしながら現代では、高齢化、プライバシー問題とライフスタイルの変化によって、扶助で担える役割が大幅に縮小しています。」

 

「かつて“ただ”といわれていた安全安心も今ではセキュリティ会社に託すようになったのと同じように、地域にまつわる役目を、まるごと専門家に託すことも一つの方法です。」

 

既存の地縁組織を否定するのではなく、人のつながりを活かしながら、独自の目線でその土地固有の魅力を深掘りし、イベントと情報発信を施してブランド化する。その様な役目がタウンマネジメントの使命であると力説する。

 

夢は、まちづくりの学校をつくること!

 

「タウンマネジメント、といっても魔法の呪文ではありません。実際にはかなりアナログな仕事です。最終的には「ひと」が大事。地域の人たちと膝を突き合わせて対話しつづけ参加してもらう。そんな地道なコミュニケーションから、タウンマネジメントは始まります。」

 

「またイベントは目的ではなく、地域の固有性を体現する手段として考える必要があります。そしてITを活用した情報発信をしっかりしていく。更には取り組みを分析して地域に戻していくマーケティングの取り組みも重要です。」

 

タウンマネジメントを、一過性のものではなく地域と一緒に継続するものとするために、QUOLでは、導入から運営までを一貫して受託している。

 

栗原氏の夢は、まちづくりの学校をつくること。体系化した学問としてのまちづくり学を、日本だけではなく成長著しいアジア圏へも広めたいと考えている。

 

「子どもたちが自慢できるふるさとを作りたい」

 

少年時代を過ごした宇和島の、穏やかな風景、そして季節ごとに行われる地域をあげてのお祭り。教会学校でのコミュニティづくりの経験。それらの原風景が、栗原氏のまちづくりの原点だ。

 

まちづくりは子育てにも似ている。「個性」を発掘して引き延ばしながら自立を促す。子どもを取り巻くさまざまな問題も、まちづくりを通して解決できることが多いと栗原氏は言う。

 

希薄化してしまった人間関係や、失われつつある地域コミュニティを取り戻すこと。

そこに住む人々のつながり、絆を深めるしくみをつくり、暮らしや人生を高めていく。社名の由来でもある Quality Up  of Life を創り出していく。

タウンデザイナー栗原氏の思いは、未来へ向かって日々進化し続けている。

企業のご紹介

QUOLが手掛けたタウンマネジメントの事例

品川シーズンテラス(エリアマネジメント)

2015年にオープン、NTT都市開発、大成建設、ヒューリック及び東京都市開発の民間事業者4社と東京都による、立体都市計画を活用した官民連携大規模開発事業である。

品川駅の港南口は、ソニーやマイクロソフトなど大企業の本社が集まっているにもかかわらず、まちとしての魅力は乏しく仕事を終えると直行直帰してしまう街の印象。そこで、新品川スタイルの提案として、品川で働くこと・品川に住まうことが、もっとわくわく・楽しく・心地よくなるようなプログラムを展開するエリアマネジメント活動を実施。品川シーズンテラスの広大な芝生空間やホールを有効活用し、「Green」「Technology」「Openness」の3つのテーマに沿った自然豊かな緑地の上で人々が交流できるスポーツイベント、最先端技術を気軽に楽しめるテクノロジーをテーマにしたマルシェ、周辺住人やワーカーが交流できるワークショップやカルチャースクールなど、様々なイベントが展開されている。

品川港南エリアをピカピカにする地域貢献活動「品ピカ」について、

「始めた当初の参加人数はたったの6人でした。今では、周辺の大企業も積極的に参加するようになり、100人近い参加人数となりました。品川には、今後新しい駅が開業するなど様々な開発の計画があります。これらのエリアマネジメントの試みがもっと広い輪になり、まち全体が盛り上がるきっかけになればいいですね。」

5月26日で開業1周年を迎え、9月16日~17日には多彩なフードやドリンクが楽しめる年に1度の食の祭典「ネイバーフードテラスon the GREEN 2016」が開催された。

 

QUOLの実績(一部抜粋)

・品川シーズンテラス(エリアマネジメント運営、イベント等の企画、制作、運営)

・日本橋室町エリアマネジメント(タウンマネジメント導入アドバイザー)

・ワテラス淡路エリアマネジメント(エリアマネジメント組織組成コンサルティング)

・ブリリアシティ横浜磯子(大規模マンションのタウンマネジメント組織組成・運営)

・二子玉川ライズ(駅前再開発のタウンマネジメント導入コンサルティング)

・あべのハルカス(近鉄阿部野橋駅への映像装置導入コンサルティング業務)

・OSAKA STATION CITY(映像装置導入コンサルティング業務)

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江戸時代に描かれた地図よりインスパイアされて作成したという、栗原さんが描いた「江戸名所図会」

 

WEBサイト

株式会社QUOL:http://quol.jp/

 

 

(取材・文 竹内聖子)