子どもと栄養<br>その歴史について、ちょこっと。

子どもと栄養
その歴史について、ちょこっと。

2016.7.28

乳幼児死亡率が示す、小児栄養の歴史

「親であつて子供を愛してゐないものはない。ひとの子を預かつて保育の任にあたらふといふものであつて子供を愛していないものもまた居ない。親にしても、保母にしても、内に燃える様な子供への暖かい愛を包んで居ればこそ、他人から見れば汚いおむつの始末もしてやれる汚れた着物を着た鼻たらしの子供でも相手になつてやる事が出来る。どちらも子供をほんとに愛して居ればこそできるのである。だから愛は尊い。愛があればこそ、子供は育っていくのである」(『幼児心理学』山下俊郎  昭和13年 [原文ママ]

 

これは、昭和を代表する心理学者・保育研究者の言葉ですが、昔も今も、子どもへの親の愛情は普遍的なものです。しかし、人類の歴史を遡れば、育児放棄や遺棄、虐殺など残虐なことにも出会わざるを得ません。貴族階級や社会的地位の高い階層の家庭と、そうではない家庭の子ども達との間には、食料事情や衛生環境、教育など大きな格差が生まれてきたという事実も、現代もなお残る社会的な課題となっています。

 

子どもが健やかに育ち成人する、ということは、あたりまえのようでとても難しいこと。

子どもへの愛情と畏れ、人々の願い。それはお七夜、お宮参り、節句、お食い初め・・・など現代に残る習わしにも受け継がれていますね。

2015年の日本人女性の平均寿命は87.05歳、男性は80.79歳で、いずれも過去最高を 更新しました。(世界では女性第2位、男性は第4位。厚生労働省「簡易生命表」2016年7月27日付)乳児死亡率も世界的にみて低い水準ですが、乳児の死亡数(1歳未満)は、昭和30年代始めには約7万人、乳児死亡率(1年間の出生数1,000人当たりの死亡数)は、約40%にものぼっています。

 

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出典:厚生労働省「平成26年 人口動態統計」

年次推移をみると、乳児死亡数及び乳児死亡率ともに、昭和40年代半ばまでは、急速に低下し、平成25年には年間2千人にまで減少しています。

 

◇乳児死亡率が低下した原因(消費者庁による)

  • 小児医学の疾病に対する診断・治療の進歩
  • 婚前から妊産婦に至るまでの保健指導
  • 母子保健対策の推進・・・など

◇死因

(~昭和40年代)肺炎や腸管感染症などによるものが多かった

(近年)先天性異常によるものが最も高い

 

小児栄養に関する知識の一般への普及も、乳児の死亡を食い止める一助となっていきました。

日本の離乳食の歴史はまだまだ浅い

昔ながらの離乳食といえば、お味噌汁をご飯にかけたり、大人が口の中で柔らかくしたものを与えたりなどは、私の親や祖母の世代ではよく行われていることでした。

 

日本において、離乳食、という言葉やその献立が普及したのは、戦後のことです。1980年代(昭和55年)に厚労省が離乳前ガイドラインを作るまでは、国としての明確な基準はありませんでした。

 

世界的ベストセラーとなったベンジャミン・スポック博士著『スポック博士の育児書』(日本語訳は1966年(昭和41年))では、オートミールの離乳食が紹介されブームとなったり、果汁を湯冷しで与えることが推奨されていた時代もありました。(現在では、離乳前に果汁を与える必要性はない、と明記されています(厚生労働省「授乳・離乳の支援ガイド」2007年

 

先に紹介した、『幼児心理学』(昭和13年)で山口俊郎氏は、「乳児の食事に於いては、授乳の時間の規則正しさといふ事が何よりも大事な事であるが、それに次いでは離乳が問題となる。離乳が満一歳までの間に行われなければならない事は今日の進歩的な母親の医学的常識と言ってもいいのであるが、実際にはあまり守られていない」と嘆いています(「食事の習慣」より)。

 

当時の母親にしてみれば、離乳食についての正しい進め方についての知識や情報は今ほど簡単に入手できなかったのですから、仕方がありません。「モグモグ期」「ゴックン期」・・・などの分かりやすい目安が登場したのも、人類の長い歴史からみれば、ごく最近の話なのです。

米のとぎ汁が、母乳の代わりに与えられていた時代も

母乳に代わる赤ちゃんの栄養として、世界で初めて粉ミルクが登場したのは1800年代。日本では1917年に和光堂が粉ミルクを製造するまで、母乳が飲めない環境にある赤ちゃんにとっては死活問題でした。

 

母乳が与えられない場合は乳母を探したり、重湯や米のとぎ汁を与えていましたが、米だけでは十分な栄養を与えることはできません。明治時代になり牛乳が輸入されましたが、腐敗した牛乳によって亡くなる事例も多かったそうです。

また、「たくさん餅を食べれば母乳が出る」といわれていたなど、まだまだ母子保健や小児栄養の知識は一般的ではありませんでした。母乳が出ないということで母親が精神的に追い詰められることも多かったようです。

 

第二次世界大戦後、小児科の医師や研究者たちが、乳幼児の栄養失調や疾病について研究し、乳幼児の栄養水準の向上や栄養指導の発展に尽くしてきました。

ベビーフードや粉ミルクも栄養価の高いものが簡単に手に入る現代ですが、ここに至るまでには、さまざまな人々の知恵や試行錯誤が積み重ねられてきたのですね。

 

今回、離乳食や人工栄養の歴史を調べようと、都立中央図書館(東京都港区)に足を運んだのですが、歴史に埋もれている面白い文献の数々を見つけることができました。

 

インターネットで世界中の資料を検索できる時代。今から何十年も前に刊行された貴重な蔵書を実際に手に取ってみると、デジタル情報からは辿り着けない、先人の知恵、そして人間の営みの奥深さに出会い感動すら覚えます。当初の目的よりもさらに踏み込んで、保育の歴史をひもといていくことになりそうです。

このコラムでも追々触れていきたいと思います。