「食の共感」<br><font>とある日の午後12時02分</font>

里山の木工職人たちが賑やかに食卓を囲む昼時です。

土鍋で飯を炊き、汁を椀に豪快に盛りつけ腹を満たします。

 

食とは何なのかを考えると興味深いものです。

食は生命を維持させるのに大変重要な要素ですが、

食のどの要素が人生に重要なのかを断定はしづらいものです。

栄養?

所作?

団欒?

 

我々はそもそもなぜ「食」を行うのか。

そこから何を補おうとしているのか。

大変興味深い事柄で、答えは複数にまたがります。

たとえ同じものを食していてもそこから受ける影響は十人十色かも知れません。

 

とあるひとは、食を文化だと云います。

そこに長い歴史があるからでしょう。

 

とあるひとは、食を性そのものだと云います。

生きる源を表現しているのでしょう。

 

とあるひとは、食は光を摂取する行為だと云います。

それは万物が太陽の恩恵を受けているからでしょう。

 

人間は大雑把にいうと、筒状にできています。

その筒を食べ物と呼ばれているものが通過していくのです。

どのタイミングで、

だれと、

どこで、

何を通過させましょう。

 

赤ちゃんにどんな「食」を経験してもらいましょう。

それも十人十色です。

 

我が家では同じ食材を赤ちゃんとシェアします。

食卓には蒸し野菜や穀物があり、

父親がそれを食卓ですりつぶし赤ちゃんとシェアするのです。

大人は同じ食事に塩分をすこし濃くして食します。

同じものを体感することが重要だと考える家族です。

 

でもそのあり方も千差万別。

決まりなどないようです。

 

 

 

そんな本日の一品

「蒸し野菜」

蒸し野菜のなかに赤ちゃんとシェアしやすい「ひとしな」を用意します。

今日はホクホクの「かぼちゃ」。

皮の部分はお父さんがいただきます。

ホクホクの柔らかいところだけをマッシュし赤ちゃんの口に運べば、食卓に笑顔が溢れます。

月齢に応じてすり潰す度合いを調整してあげるといいでしょう。