料理は出逢い。
だから、別れがあります。
人間として生きていく上で、食は生命維持に切り離せない行為です。
だからこそ、その出逢いはとても思い出深いものになります。
幼少の頃の食の思い出は幾つもありますが、
「お好み焼き」と「すき焼き」は印象の深いものです。
その思い出は単に味覚によるものだけではなく、
香りはもちろんですが、
背景に聞こえていたテレビの音、マンションに差し込む街灯のあかり、母親の立ち振る舞い、
父親の低い声、ソースの少し焦げたかおり。
もう二度と出会うことのない香りの記憶です。
今となっては、私にとっての安堵の象徴にすらなっているのです。
バスで少し走ったところに、旦過市場という商店街がありました。
古い商店街ですが、人通りが多く美味しい香りで賑わっています。
おでん屋が何軒かあり、母の買い物が終わるのを待っていた記憶があります。
他の店と同様に壁などの仕切りはなく路面に面したテーブルで熱々のおでんを頂くのです。
これが最高のご馳走。
向かいの店には、ぬか漬けの大きな樽が所狭しと並べれています。
帰り道、ある店を横切ります。
くじらの肉屋です。
薄暗い店にガラスの陳列棚が冷たく佇んでいて、
ほのかに光っている裸電球がいい演出をしていました。
そこだけ深い深海のようで
とにかく背筋が凍るような怖いイメージ。
そんな肉屋が何軒かあった記憶があります。
くじら肉、とりわけベーコンの塊のところの色合いが独特で、
ピンクや赤の蛍光塗料を塗ったような奇抜な色合いと
独特のくじらの生々しい匂いで足がすくむのです。
たまにそこで鯨を購入するときは、早く帰りたいなとソワソワしていた覚えがあります。
いまでも鯨を食べるときには、香りを引き金にその場所を懐古します。
40年という記憶を一瞬でさかのぼるのですから大したものです。
昨日の献立も思い出せないのに。
そして、やはり反射的にソワソワします。