「ちゃんと壊れる こどもいす」<br><font>とある日の午前09時13分</font>

『壊れる』

 

という言葉は何やらマイナスのイメージを感じますが、

ものづくりをする立場の人間として良い意味で多用しています。

 

今朝、子ども用のスプーンを手入れしていました。

2、3歳児くらいのお子さんだと、ついついかじってしまったりする事で欠けたり傷んだりします。

場合によっては大きく欠損することも。

大抵の場合はナイフで削り直してあげれば使い続けることができます。

 

匙の裏面には歯型が残っていたりしますが、

この辺りは補習の際、敢えて残しておきます。

 

 

『ちゃんと壊れる』

 

実は大変重要だと日々感じています。

子どもの椅子においては大変顕著です。

市販品の子ども椅子は大抵金物を多用し壊れないように組み上がっています。

そうするとどうでしょう、どんなに乱暴に扱っても壊れることはありません。

それは安全かもしれませんが、少なくとも「育み」でしょうか?

もしかして、大きな括りでいうと安全でもないかもしれません。

乱暴に扱うと壊れるという学びの場を失うことは、幼少期の所作を形成する上で大変もったいない話です。

 

どれ位の壊れやすさに設定するか。

この「さじ加減」がとても重要になってきます。

それはきっと使う人、場所、環境など様々なケースで大きく異なってきます。

傷がついたものをどうやって補修していくかもとても重要です。

使い手が子どもであれば、ぜひその経過も見て欲しい。

作り手としてそう願います。

 

壊れないことが物を大事にしていることではない。
すべての物はいつか壊れゆくから、物にたいして愛おしく思うことが大切なんだと作り手として伝えたいものです。

 

 

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画像は補修前の匙