“あたりまえ”にあるものって

テレビで事件や事故など かなしいニュースを見るたび、巻き込まれたひとたちは、昨日までは今の私と同じようにテレビでニュースを見て『こわいな~』『かわいそうだな』なんて漠然と思っていたんだろうな・・と思います。

きっとみんな、まさか自分が、自分の家族が当事者になるなんて思っていなかっただろうな・・と。

自分たちが気を付けることで防ぐことができることと、自分たちがどれだけ気を付けていても防ぎきれないことがあります。

最近はミサイルのニュースをテレビで見るたび、すごく恐ろしくなります。

そんなことを心配しなければならない世の中になってしまったなんて。

 

夜、2人の娘を寝かしつけながら思います。

『もしも今、大きな地震が来たら・・ もしも今、ミサイルが飛んできたら・・』

 

そんなことを考えていると、胸が締め付けられます。

今 隣でしあわせそうに眠る娘たちの怖がる顔や泣き叫ぶ顔を想像すると、たまらなくなります。大切な大切な存在だからです。

 

 

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今日は朝から長女が自分で冷蔵庫から牛乳を取り出し、落としてこぼしました。

お絵かきをしていた次女が持っていたのは油性ペンで、勢い余ってテーブルにはみだしました。

おもちゃで遊んだのに、片付けずに別の部屋に行ってしまいました。

・・今日一日で何回怒ったことでしょう。

だけど、そんな日のことすら、いつか愛おしく思うのだと思います。

 

お風呂から上がり、洗濯ものをたたんでいるところに、『ママ~!一緒にパズルしよう~』と次女。

『待ってよ、今お洗濯したの たたんでるからね~』。

たたみ終わって娘の元に向かうと、パズルが4つ。

 

『これ、全部するの?!もう寝る時間やから1つにして~』なんて言いながらパズルが1つ完成。

『まだやりたい!』とダダをこねる娘に、『また明日!もう今日は寝る時間っ!』と言い放ち、布団に行く。

布団に行ったら、今度は長女が『なぞなぞしよう~』と、最近お気に入りのなぞなぞの本を持参。

一生懸命ひらがなを読んでなぞなぞを出す娘。正直疲れて眠たい私は、長女が最後までなぞなぞを読み終わる前に答えをサラッと言ってしまったりして、『はいっ、もうおしまい!また明日ね!』と。

 

“また明日。”

当たりまえに明日が来ると思って『また明日』と言います。

パズルもなぞなぞも『また明日』できると思ってそう言います。

 

明日が当たりまえに来るものだと思って、今日を大切にしていない自分に気が付きます。

毎日私と手をつないで眠る2人の娘。

両手がふさがり、身動きがとれない私は、ときどき『はぁ・・たまには自由に寝たい・・』と、呆れながら手を差し出します。

でもこれって、いつか終わってしまうこと。ぎゅっと小さく握る手は、あっという間に大きくなります。

大きくなったら手をつなぐことなんてほとんどなくなります。

 

当たりまえに、絶対にあるものって、ひとつもないように思います。

そう思うと、特別なにもない日々が、とてもしあわせに感じはじめます。

 

 

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明日にしよう” “また今度にしよう” と先送りにしたこと。

・・・ほんとは今日できなかったのかな?

 

次女は3分もあれば1つのパズルを完成させることができます。パズルを4つやったとしても10分ちょっと。

長女の寝る前のなぞなぞも、10分もやれば満足します。

テレビや携帯を見ている10分なんてあっという間です。

 

『今日は時間がないから』は、気を抜くと明日も同じことを言ってしまいます。

 

自分が今一番大切にしたい時間ってなんの時間なんだろう?

布団に入って目をつぶり、一日を振り返ります。

今日やりたかったのにできなかったなと頭に浮かぶのは、家事や自分のためにしたいと思っていたこと。

でも、そのあと すやすや眠った娘たちの寝顔を見ながら思うのは、「もっとゆっくりあそんであげたかったな・・」です。

 

保育園から子どもを迎えて寝るまでの時間は限られています。

「今日もたのしかったね」と眠りにつけるよう、優先順位をつけて、時間をつかっていきたいと思うのでした。