「ごきげんよう、さようなら」とある日の午後18時26分

料理は出逢い。

だから、別れがあります。

 

 

人間として生きていく上で、食は生命維持に切り離せない行為です。

だからこそ、その出逢いはとても思い出深いものになります。

 

幼少の頃の食の思い出は幾つもありますが、

「お好み焼き」と「すき焼き」は印象の深いものです。

 

その思い出は単に味覚によるものだけではなく、

香りはもちろんですが、

背景に聞こえていたテレビの音、マンションに差し込む街灯のあかり、母親の立ち振る舞い、

父親の低い声、ソースの少し焦げたかおり。

 

もう二度と出会うことのない香りの記憶です。

 

今となっては、私にとっての安堵の象徴にすらなっているのです。

 

 

バスで少し走ったところに、旦過市場という商店街がありました。

古い商店街ですが、人通りが多く美味しい香りで賑わっています。

 

おでん屋が何軒かあり、母の買い物が終わるのを待っていた記憶があります。

他の店と同様に壁などの仕切りはなく路面に面したテーブルで熱々のおでんを頂くのです。

 

これが最高のご馳走。

 

向かいの店には、ぬか漬けの大きな樽が所狭しと並べれています。

 

 

帰り道、ある店を横切ります。

 

くじらの肉屋です。

 

薄暗い店にガラスの陳列棚が冷たく佇んでいて、

ほのかに光っている裸電球がいい演出をしていました。

 

そこだけ深い深海のようで

とにかく背筋が凍るような怖いイメージ。

 

そんな肉屋が何軒かあった記憶があります。

 

くじら肉、とりわけベーコンの塊のところの色合いが独特で、

ピンクや赤の蛍光塗料を塗ったような奇抜な色合いと

独特のくじらの生々しい匂いで足がすくむのです。

 

たまにそこで鯨を購入するときは、早く帰りたいなとソワソワしていた覚えがあります。

 

 

いまでも鯨を食べるときには、香りを引き金にその場所を懐古します。

 

40年という記憶を一瞬でさかのぼるのですから大したものです。

昨日の献立も思い出せないのに。

 

そして、やはり反射的にソワソワします。

 

 

 

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