「道具の一生」<br><font>とある日の深夜23時12分</font>

埼玉県の住宅地の川沿いにポツンと瓦屋根の古い民家があります。

玄関先には多くの仏像が並べられており、

もし少年の時分なら少し足早に立ち去ってしまうであろう佇まいです。

 

実はここは名のある刃物店。

 

今日はその店の戸をはじめて叩いた時のはなしです。

 

 

私のような作り手にとって、

道具とやらは大変重要な、相棒のような存在です。

長く一生付き合う事になるので、吟味を繰り返して工房にお招きします。

 

どこの道具屋の店主も、私のような若い作り手にとっては怖い存在です。

多くの作り手を知っているので、道具だけでなく作り手の良し悪しも見抜きます。

 

少々怒られる事などは覚悟して店に伺うのですから、

一般の人にとっては理解に苦しむ話かもしれません。

客が怒られに買い物に行く訳ですから。

 

この時の私も緊張しながら手土産をもって戸を叩いた覚えがあります。

 

 

玄関先で声をかけると、中に入るように奥の方からしゃがれた声が響きます。

恐る恐る進むと、主人が何か探し物をしている様子でした。

 

 

「おお、よう来たの、お前さんも変わりもんかい?

変わりもんじゃなきゃ ここにはこんさ」

 

 

白く長い髭をたくわえたご老人はなぜかご機嫌なシャツを着ている。

どこかで見覚えがあるぞ・・・。

 

ああ、亀仙人・・・

 

 

仏師でもある主人が仏様の話を流暢にはじめた。

私は正座をしたまま相槌を打つ。

確かに興味深い内容でした。

 

なぜ、日本の仏陀は落ち着いているのに、インドでは若さに溢れているのか。

その辺りを仏師の切り口で説明していただく。

 

メモを取りながら、足のしびれと戦っていました。

 

 

3時間ほど経ったところで、「お前さんは何をつくっとるのだ?」と訊かれたので、

自己紹介を含めてあれこれ制作の話をさせていただきました。

 

30分ほど説明したところで、

 

 

「で、これから何をつくりたい?」

 

 

と白い髭が揺れました。

 

 

その説明が終わるやいなや、

 

 

「お前さんの欲しいものはこれじゃな」

 

 

といって、突き鑿(のみ)を手渡されるに至りました。

 

 

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4時間という時間は足のしびれとの戦いでしたが、

自分の手にしっくりくる道具を手に入れただけでなく、

 

「人に自分の作品を譲る」

 

という行為の本質を垣間見たようで嬉しくなった覚えがあります。

 

 

具体的に何が欲しい、だなんて本人の欲求は実際にはそんなに本質をついていない事も多く、

むしろ様々な輪郭から欲するものが見えてくる事があります。

 

雑談という輪郭から私の仕事を診てくれたのでしょう。