だれかと話すということ

毎日子どもに食事を作っていて、「味付けはこれでいいのかな?」「かたさや大きさってこんなぐらいでいいのかな?」と思うことはありませんか?

子どもが大きくなってきて、それこそ自分から感想を言えるようになれば“そういうことか”と分かりますが、小さいうちは “ただ嫌がる”、“ただ食べない”、“ただ残す”、“ただ吐き出す”・・など、結果だけで原因を分かってあげられなくて困り果ててしまうことがあります。

 

 

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私が保育園で子どもたちの給食を作っていた頃のはなしです。

保育園に勤める前にも調理の仕事をしていましたが、小さな子ども向けの食事を作るのは その時がはじめてでした。

だからはじめは、『これで大丈夫かな?』と不安な部分もありました。

 

保育園では毎日、子どもに給食を提供する前に、責任者(主に園長先生や担任の先生)が試食をし、栄養面・衛生面・嗜好面において、子どもが食べて安全かを確認します。

 

「おいしいです」「もう少しやわらかい方がいいね」「もう少し味付けしてもいいかもね」など、そこでいただくコメントは、嬉しいものも厳しいものも、学びになります。

それ以外に、“だれかに確認してもらえる安心感”というものもあったように思います。

 

保育園の給食は、調理さんが調理室で作ります。

食べる子どもたちのことを考えながら、味付けや大きさ、かたさを考えながら調理をすすめます。

でも実際に子どもたちが食べた反応はどうだろうか。

食事をしているクラスをまわり、子どもたちからの「おいしい!」の声は励みになり、お皿に残っている・・は、じゃあ次はどうしたら食べてくれるかな、の始まりです。

 

調理室のなかが忙しく、子どもの食べているようすを見られなかった日。

そんな日に残食がいつもより多いとへこみます。

『なにがいけなかったんだろう・・』『どうしたらよかったのかな』

一人で調理室のなかで考えていてもなかなか答えは出ません。

 

そんなときは、保育士さんに尋ねるのです。子どもたちの食べるようすを間近で見ている保育士さん。

“次はどうしたら食べてくれるようになるだろう”についての率直な感想をもらいます。

 

保育園の給食は、2週間のサイクルメニューのことが多く、ひと月に2~3回、同じメニューが出ることがあります。

1回目のときに残食が多かったときは、子どものようす、こういった保育士さんからのアドバイスなどを踏まえ、切り方を変えたり、煮込む時間を変えたりと工夫をします。

それに食べ慣れるということも手伝って、2回目のときの方が子どもたちもよく食べることが多いです。そして苦手な野菜もきれいに食べてくれたときは、保育士さんとも嬉しさを共感したりしました。

 

 

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「子どもに食事を提供する」ということは、家庭でも同じです。

ただ、保育園と家庭との大きな違い。

それは家庭では調理と食事介助を一人で担当することが多いということではないでしょうか。

 

一人で作って、一人で食べさせる。

作るときも悩む、食べないと悩む。

だけど「なんでだろう?」と相談する人がいない。

 

食べなければ「なんで食べないの?」と悩む。

パクパクとどんどん食べれば、それはそれで「食べすぎではないか?」と悩む。

子どものことを考えると、なんにしても悩みになってしまうものです。

 

過ぎてしまえば「あんなことに悩んでたときもあったな~」なんて、そんな思い出に変わるものですが、悩んでいるときは終わりなく永遠に感じます。

 

人からみたらちっぽけなことかもしれないと思っても、自分が悩んでいるのなら、それは悩みです。

 

私も調理室でひとり、戻ってきた残食を見つめながら 部屋にこもってしまっていたら、いつまでもへこんだ気持ちを回復させることもできなかっただろうし、次にどうしていいのかが分からなかったと思います。

悩みが深刻になって、食事を作ることが、子どもと向き合うことがつらくなってしまう前に、だれかに話してほしいと思います。

 

 

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食事だけに限らず、子育てって正解が分からず、達成感というものを味わう場面もなかなか少なかったりして、心が弱っているときは自分でもよく分からないことをしたりします。

私も一番しんどく感じていた頃、窓を開けて夜の星を見ながら涙を流したこともあります。

今思うと「ドラマかい!」と自分にツッコミを入れたくなりますが、そんなときもあっての今です。

 

子どもが小さいうちは手がかかり、大変に思うことも多いです。

だけど、なにかが「できた!」という喜びや、ぎゅっと握る小さな手の愛おしさも、今たくさん味わいたいです。

できるだけモヤモヤしないでニコニコしたい。

だからだれかに話してみるって、きっととても大切なことなのかもしれません。